はっとさせられる短歌である。〈可愛いかどうかは会ってから決める 知らない人の知らない子ども〉山川藍。
小さな子というのは可愛いに決まっている。誰の子、どんな子であっても。そんな有無を言わせないような雰囲気に抗う歌人の姿がある。
可愛いにしても、おめでたいにしても、誰かから強制されるものではない。弔意だってそのはずなのに。中曾根康弘元首相の内閣・自民党合同葬義が17日に行われる。黙禱はなどで弔意を示すことを求める通知が、総務省から都道府県や市町村に送られたという。
同様の通知は文部科学省から国立大学や都道府県教委にも届いている。どちらの省も弔旗の掲げ方や黙禱時刻を記した文書まで添えている。内心の自由を侵害することにつながるとの批判が起きたのは当然だ。
「強制を伴うものではない」と加藤勝信官房長官が記者会見で述べていた。なるほど無言の圧力とはこういうものか。
立派な宰相だったと進んで弔意を示す人がいるだろう。尊敬できない政治家だったと何もしない人もいるだろう。尊敬できようができまいが弔意を示すのが礼節だと考える人もいるはずだ。それぞれの判断に通知も協力要請もいらない。
似たような通知は、2006年の橋本龍太郎元首相の合同蔡でもあった。この時は高知県知事だった弟の橋本大二郎氏が、強制と受け止められかねないとして国に異議を唱えた。弔意を求めるなどということは、「亡き兄の本意ではない」と述べながら。

 天声人語より