夫婦で表裏1枚という名刺を初めていただいた。長野県諏訪市の酒蔵「本金」の宮坂恒太朗さん、ちとせさん。
小さな蔵を切り盛りするふたりだが、夫の病が進み、妻が常に寄り添うようになった。
全身の筋肉が衰える難病、筋萎縮性側索硬化症を発症したのは、恒太朗さんが31歳のとき。おはしが急に重く感じられ、ビンのふたが開けられなくなった。
江戸中期から続く蔵元で、杜氏として抜群の酒をつくると意気込んでいた。日本酒の展示会で、酒を飲んでいなかったにもかかわらず「飲んで仕事をするな」とお客さんに叱られる。いつの間にか、ろれつが回らなくなっていたことにがくぜんとした。人と会うのもつらくなった。
そんなとき声をかけてくれたのが、諏訪市在住の車いすの画家、原田泰治さん。車いすで入れる店を増やし、街をバリアフリー化していこうと誘われる。「らくらく入店」と書かれた特性ステッカーを作り、スロープ完備でなくても、出入りを手伝う店員がいればOKとした。
運動に参加したことで世界が開けた。「普及のため大勢の前で自分の闘病や思いを伝える。やりがいを感じます」。飲食店のほか、病院や理容店、信用金庫も。ステッカーは54店に広がった。
本金のお酒を一口いただく。素朴で奥深い。取材の間、しつもんにはまず恒太朗さんが声を絞り出して答え、それをちとせさんが伝える。助け合い、いたわり合うふたりが外食を楽しめる店が増えてほしいと切に願う。

 天声人語より