昔の学生は英語の辞書を破っては食べて覚えたものだ---。
高校の教師に言われても真に受けなかったが、明治期の福島県が生んだ秀才、朝河貫一・米エール大教授の場合、食べた辞書の生で語り継がれている。
「食べ終えて残った辞書の表紙は、母校の県立安積高校の校庭の桜の下に埋められた。朝河桜と呼ばれています」と語るのは歴史学者の甚野尚志早大教授。昨年11月に結成された「朝河貫一学術協会」の発起人の一人だ。
朝河は1873年、旧二本松藩士の家に生まれた。語学に秀で、早大の前身・東京専門学校から米国の大学に進む。級友から親しみをこめて「サムライ」と呼ばれた。名門エールに教職を得ると、日欧の封建制度を研究した。
現実の国際情勢にも背を向けず、独善に陥った日本の外交には繰り返し警鐘を鳴らした。早くも明治の末年、いずれ日本は世界の中で孤立し、米国の怒りを買って破滅すると述べている。戦後の1948年、米国で没した。
「注目すべきは視野の広さ。史料の海におぼれ、視座を見失いがちないまの歴史学者には学ぶべき点が多い」と甚野さん。学術協会は今後、残された膨大な草稿や書簡を分析し、研究を深めていく予定だ。
安積高校の校庭ではちょうどいま、朝河桜が満開を迎えた。没後70年を過ぎ、残念ながら地元福島と歴史学界を除けば、その名は記憶から薄れつつある。全業績、全人物像に改めて光をあてたい歴史家である。

 天声人語より