2018年08月の記事


関東大震災から95年
95年前のあす関東大震災。
忘れまい、ラジオもない時代に、口づての流言飛語で何が起きたかを。
<両岸よりひた投げに投ぐる礫のした沈みし男遂に浮かび来ず>土岐善麿

素粒子より
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八ヶ岳から涼風が吹き、はるか南には富士山も見える。
標高1千㍍の長野県富士見町で栽培される高原野菜がある。ルバーブだ。大地から伸びる茎の鮮やかな紅色が目に飛び込む。
フキに似た野菜で、ジャムや洋菓子、肉料理のソースが評判を呼ぶ。シベリア原産で熱や日差しに弱く、冷涼な土地でしか栽培できない。富士見町では十数年前から「ルバーブで町を売り出そう」と栽培者を増やした。生産量で日本一となったのは、都会からの移住組がその輪に加わったことも大きい。
その一人がルバーブ生産組合の販売部長三宅満さんだ。長く厚生労働省に勤め、中国残留孤児の身元調査やインドネシアでの戦没者の遺骨収集に奔走した。退職後、富士見町へ居を移し、ルバーブと出会う。
「意外と手がかかりません。収穫して3週間後には次の葉と茎が出てくる。農薬とは疎遠な人にもなじみやすい」。いま栽培者は約100人。グルメ番組などで紹介されると、注文が殺到し、てんてこ舞いとなる。
ルバーブの別名は「食用大黄」。消化を促す薬効で知られる「大黄」の近縁種である。カナダが舞台の小説『赤毛のアン』にも登場する。食欲の衰えた高齢女性にアンがゼリーを届ける。20世紀初めの欧米でも、その効果が知られていたのだろう。
富士見町のルバーブ畑で、三宅さん夫婦が育てた1本を生でいただいた。強い酸味に驚くが、少しも後をひかず、爽快感だけが残る。一陣の風のような涼味に、地上の猛暑を忘れた。

 天声人語より
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こんどは体操協会
スポーツ関係の問題が続く中、また体操協会の問題。
宮川選手は体操協会の塚原光男副会長(70)と妻の千恵子女子強化本部長(71)から速見コーチの暴力行為を認めるよう強要され、その中でパワハラがあったと訴えた。
 塚原副会長らから「このままではオリンピックに出られなくなる」と圧力を受けたとし、「家族もコーチも否定され、私は速見コーチと引き離されてしまうんだと恐怖と苦痛で全てがおかしくなってしまいそうだった」と訴えた。

朝日ももっとこの問題、大阪桐蔭高校の賭けゴルフ問題を取り上げても良いのでは。
一面記事にすべきだ。
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ヒーローは時代の写し絵のようでもある。インドネシアで話題の「裸足のランナー」のことだ。
ジャカルタ・ポストのサブトラ・ラマダニ記者は目を丸くし、話してくれた。「突然現れた星のようだ。ゼロからヒーローになった」。
1万3千あるこの国の島の一つがロンボク島だ。陸上男子100㍍のラル・ムハマド・ゾーリはここで育った。家から中学まで3㌔の道を裸足で通い、練習したと地元紙は伝える。漁や畑で生計をたてる島で珍しい光景ではない。スパイクをはくのは2年前にコーチに見いだされた後のことだ。
その少年が1カ月前、フィンランドで20歳未満の世界選手権を制した。172㌢、60㌔の体で巨漢のライバルを残り10㍍でかわすと帰国後は大歓迎が待っていた。大統領官邸に招かれ、150万円の報奨金や家のプレゼント、軍や政府から仕事の申し出もあった。
つつましい生い立ちと終盤の鮮烈なスパートが、経済成長を続ける新興国の若い世代に共鳴するのだろう。地元でのアジア大会でも予選を通過し、26日の準決勝に進んだ。
大会の開会式では聖火を点火したスシ・スサンティさんも印象的だった。92年バルセロナ五輪女子バトミントンで、この国に初の金メダルを運んだヒロインだ。中国系の女王は300の民族が集う国の多様性をを示す象徴となった。
まばゆい光を集めて登場しても、輝き続けるには別の努力が要る。18歳の少年が期待に押しつぶされず、世界にはばたく姿を待ちたい。

 天声人語より
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入院患者熱中症で死亡か
言うまでもなく、入院患者は「人間」である。
エアコンが故障しても、患者を熱中症から守る責任は病院にある。

素粒子より
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俳句における写実を強調した正岡子規だが、くすりとさせられる作品も少なくない。
そんな句ばかりをコラムニストの矢野祐吉さんが選んだのが『笑う子規』である。なかにはパロディーすらある。<めでたさも一茶位や雑煮餅>。
ことしの正月は、一茶の<めでたさも中位なりおらが春>のもじりでお茶をにごすか---。子規の心のなかまで想像して、天野さんが付け加えている。正月の句には<雑煮くうてよき初夢を忘れけり>もある。
だじゃれで遊ぶ子規の句が見つかったと、読んだ。1897年に新年会を開いて福引をし、景品に合わせて詠んだ句だという。<信念や昔より窮す猶窮す>。当たったのは急須のようで、「福引にキウスを得て発句に窮す」の詞書も添えられている。
前年に脊髄カリエスの手術を受けた子規だが、このときは小康状態だったようだ。弟子の高浜虚子や河東碧梧桐らを連れ、人力車で出かけた新年会である。病床の貧しい生活すら笑いに包み込む。弟子たちを楽しませ、自分も楽しむ姿が浮かぶ。
東京・根岸の家を訪ねてくる人たちと、病床の子規は交流を続けた。郷里の後輩でもある碧梧桐は、先客がいようが病人が寝ていようが、いつも自分の家のように上がり込んだと書いている。それでも外で会食をしたのは「ホンの数えるほど」だったという。
<糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな>。子規は、痰を切るため糸瓜水を愛用していたようだ。自分を仏に見立てた34歳の絶筆である。

 天声人語より
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さくらももこさん亡くなる
昭和の日常を、平成をつうじてほのぼのと描いた。
普遍の生命を宿した作品を残し、旅立った。

素粒子より
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マケイン氏死去
同じ共和党の大統領にも厳しく物申す孤高の重鎮。
わが政界の人材難を寂しく顧みる。

素粒子より
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1904年生まれの作家の幸田文は、東京・向島で育ち、隅田川に親しんだ。
子どもの頃によく、洪水ごっこをして遊んだという。雨風の音を口ずさんだり、着物をまくって歩く格好をしたり。避難者への炊き出しのまねもした。
親に見つかると「縁起でもない」と叱られたが、ひどい洪水は頻繁に起きていた。台風の時期になると、避難用の舟を供える家もあり、いかだを作れるよう板や丸太を用意する家があったと随筆に書いている。
幸田の時代に比べて治水は格段に良くなったとはいえ、土地の低さに変わりはない。隅田川や荒川の周辺にある5区が、経験のない巨大台風に見舞われた際の被害想定を発表した。250万人の非難が必要になるという。
最大で10㍍まで浸水し、2週間以上も水が引かない地域があるというから、西日本豪雨を上回る想定だ。避難勧告に沿って埼玉や千葉などに電車や徒歩で向かうよう求めるが、避難先は自分で見つけてほしいという。まるでお手上げ宣言だが、これが現実なのか。
岡山県倉敷市の浸水で記憶に新しいのが、ボートで一人ひとりを助ける様子である。それでも都心の大人数となれば困難か。高いマンションなどにむとどまったとしても、電気や水道が止まったらと考えると怖くなる。
どこまで想定すればいいのか、わからなくなる最近の気象である。強い雨を伴う台風20号が西日本を北上しており、その行方を気にしながらコラムを書いている。被害のなきことを祈るばかりである。

 天声人語より
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太平洋戦争末期、俳優の児玉清さんは東京から群馬へ集団疎開していた。
ある日、教室で先生から言われた。「悲しいニュースがある。東京に空襲があって、君たちの中に家が焼けてしまった人がいる」。ところが、家が焼けたと伝えられた子たちは喜んで万歳を始めた。
児玉さんもその一人だった。「お国のために役に立ったんだと、誇らしいような気がしてね」。家が無事だった子たちはしゅんとしていたという。
身に降りかかった災禍を、栄誉と思い込む。戦時下の異常な発想が、子どもにも浸透していた。この絵にも、そんな空気がまとわりついていたのだろうか。東京都美術館で開催中の藤田嗣治展で、戦争画「アッツ島玉砕」を見た。
北太平洋の島で日本軍2600人が全滅した戦闘に、洋画家は材を取った。暗い色調。敵味方も判然としない兵士たちが、折り重なるように戦う。苦痛に顔が歪む者、絶命した者。いま見ると反戦画かと思えしまう。
藤田が会心の作とした絵は陸軍に奉納され、戦意高揚に4使われた。公開されると、絵の前でひざをついて祈る人もいたと伝わる。死は、社会に埋め込まれていった。やがて「一億玉砕」が叫ばれるようになる。
戦前のパリで名声を得た藤田の絵は、画面に広がる乳白色が特徴だった。その画風を捨てて打ち込んだ戦争画は称賛され、戦後は手のひらを返すように批判された。時代に歯車を狂わされた一人であろう。

 天声人語より
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夜型生活取り戻すには、朝日を浴びる。
乱れた睡眠のリズムを取り戻すにはどうすればいいのか。
①朝に日光を30分ほど浴び、睡眠ホルモンに関わる体内時計をリセットする
②日中に適度な運動をし、夜とのメリハリをつける。
③胃や腸を休めた状態で眠るために、就寝の3時間前には食事を終わらせる。
④夜は強い照明を使わないで過ごす--などが効果的という。
また、乱れた体内時計を整えて規則正しい生活リズムを手に入れるために、毎日の睡眠時間を記録することを勧める。起床・就寝時刻や寝ていた時間、途中で起きた時間・回数を振り返り、できるだけ毎日同じリズムを繰り返すようにする。休日だけ起床時間が遅くなる場合は注意が必要だ。平日の起床時間と2時間以上ずれると翌週の前半は時差ボケの状態となり、心身への負担が増えるという。
体内時計が乱れたままだと、睡眠時間帯が日常生活に支障を及ぼす「概日リズム睡眠障害」になる恐れもある。「朝起きられないなどの症状は『やる気がない』『だらしない』と見られがちだが、治療が必要な場合もある。受診をためらわないでほしい、と話している。

 はぐくむより
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異色の就活本である。昨年刊行された『障がい者の就活ガイド』には、なるほどと思わせるアドバイスが並ぶ。
例えば履歴書には意外性のあることを書くのがいいと勧める。「趣味 マラソン」とあれば、障害のある人がマラソンを走るというギャップが生まれ、話のきっかけになるという。
障害について自分の言葉で話せるようにしておこう。職歴には小さな役職でも書こう----。著者の紺野大輝さんは脳性まひによる障害がある。就活での苦労や会社員の経験を踏まえて書いた。「働くことであなたの人生は劇的に変わる」と訴える。
真剣に職を求める読者の姿が浮かんでくる。そんな人たちの想いに冷や水を浴びせる話であろう。農林水産省、総務省、国土交通省など複数の省庁で、雇用する障害者の人数を水増ししていた疑いが出ている。
障害手帳のない軽度の人などを算入し、障害者の雇用率をふくらませた可能性があるという。厚生労働省が調査に乗り出した。
法だ定める雇用率は、国が2.5%、企業が2.2%である。達成できない企業は厳しく指導され、納付金も課される。そんな漢詩の枠外にある国の機関は、お手本になることを求められているはずなのに、ごまかしが常態化していた疑いもあると聞くと、あきれるほかない。
障害者雇用の精度が大きく前進した1970年代、「社会的連帯」が強調された。自分たちは連帯の枠外だと考える官僚が存在するのだろうか。最近続く常識外れの不祥事とだぶって見える。

 天声人語より
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障害者雇用
水増しは自治体でも横行。
まさか「みんなで渡れば怖くない」ですか。

素粒子より
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コンクリートの歴史は意外と古い。
古代ローマ帝国は、独自のコンクリート技術を用いて、水道や道路、神殿などを建設していた。今も残るドーム形の神殿バンテオンがつくられたのは2世紀の前半。日本はまだ弥生時代だった。
そんなインフラ建設は200年にわたって続いたが、しだいに帝国にとって重荷になった。老朽化である。ローマが誇る水道網も激しい濾水に悩まされていたと小林一輔著『コンクリートの文明誌』にある。
朽ちていくインフラは、時代を超えた課題なのか。イタリアのジェノバで高架橋が突然崩落し、40人以上の命を奪う大事故があった。1967年に造られた橋である。以前からコンクリートの破片が落ち、ひび割れが目立っていたという。
「道路と一緒に落ちていくのを感じた。この世の終わりを描いた映画のようだった」とは、奇跡的に助かった人の声だ。悲劇の原因は修繕の不十分さか、もともとの設計か。世界の視線が集まるのは、との国にとっても、ひとごとではないからだ。
1960年代といえば日本も高度成長期で、多くのインフラが造られた。古くなった道路や橋、建物を点検し、修繕に予算をつけていくことができるのか。「造る」から「直す」へと、軸足を大きく変えることが求められている。
ローマ帝国が滅亡した背景として、インフラの老朽化を指摘する声もある。修繕の負担がかさんで、国力を奪ってしまったのだと。コンクリートで覆われた現代社会も同じ挑戦を受けている。

 天声人語より
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今日は処暑
残暑が厳しいけど、暦上ではきょうから処暑。
台風と新サンマの季節到来。

素粒子より
今年もサンマは高そうだ。
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会社員のほげたさんは、いつものように寝坊してしまう。
カバンもメガネも忘れ、スリッパで飛び出すが、間違って逆方向の電車に乗ってしまう。山あいにある終点の駅まで行って考えた。<こうなったら、きょうは、やまのかいしゃへいこう>。
絵本『やまのかいしゃ』を開くと、その自由奔放さがうらやましくなる。途中で会った同僚のほいさくんと一緒に、山の頂上を会社にみたてて仕事を始める。といっても景色をながめているだけなのだが。
やがて会社の社長も社員たちを引き連れてやってきた。山の上で大人たちが楽器を奏で、クマと遊び、ピクニックをする。楽しい時間だったが、社長たちはまちに帰ることにする。<やまのかいしゃがぜんぜんもうからない>からだ。
この夏、休みを取ってゆっくりのんびりできたなら、そこがあなたにとっての「やまのかいしゃ」であろう。山や海、外国はもちろん、家で寝転がっていたとしても、しかし日常生活に戻るときは来る。
旅行や帰省などを終えて、きょうから仕事という方も多いだろう。いつもより通勤が面倒に思われ、仕事が長く感じられるときである。あのひどい暑さからは随分ましになったとはいえ、残暑が続く。次の休みを励みにしながら、がんばれるか。
絵本では、ほげたさんとほいさくんの2人は山に残り、いまも元気でやっているらしい。忙しい日が続いても、気持ちだけはときどき、やまのかいしゃに戻ってみたい。

 天声人語より
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原発事業で4社提携へ
東電と中部電力、日立、東芝の4社は原子力事業で提携に向けた協議を始めた。
保守管理サービスや廃炉作業の共同化などが想定される。

紙面より
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時代を映し、時代に押し上げられる歌がある。米国の歌手アレサ・フランクリンさんの「リスペクト」もそうだった。
もともとは男性歌手による曲で「ぼくが家に帰ったときには敬意を示してくれ」と女に語りかける内容だった。それをひっくり返し、女性の視点から歌った。
<あなたが家に帰ったとき、小さなリスペクトが欲しい/リスペクト、それが私にとってどんな意味を持つのかに気づいて>。1967年、フェミニズム運動が盛んになっていた時である。弾むような声に乗せた曲は大ヒットした。
黒人の教会で神の教えを説きゴスペルを歌っていた父親から、大きな影響を受けた。そんな彼女はやがて、黒人の権利を求める公民権運動のシンボルになっていく。暗殺されたキング牧師の葬儀でも追悼の歌を捧げた。
フランクリンさんが76歳で亡くなった。グラミー賞を18回受け、「ソウルの女王」とも呼ばれた。オバマ前大統領は「彼女の声に、私たちの歴史を感じることができた。力と痛み、闇と光も」と悼んだ。
60年代末には「シンク」というヒット曲も生んでいる。ベトナム戦争に重ねて受け止められたとの見方が評伝にある。自分が何をしているのか、米国政府はよく考えてみろと、歌はときにつくり手や歌い手の意図を超え、力を持っていく。
彼女を惜しむ声が多いのは、人権や性をめぐる差別がまだまだなくならないためか。壁を築くのではなくリスペクトすることができると、歌は訴えている。

 天声人語より
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スポーツ界の不祥事
バスケ日本代表4選手が買春。
ボクシング、アメフト、レスリングと不祥事だらけ。

素粒子より
国民の払った税金で派遣されているのが、本人たちは分かっているのだろうか。
これこそ税金の無駄遣いだ。
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足並みをそろえることを潔しとしない米新聞界では画期的なことだろう。
「記者連中は米国の敵」。飽かず報道機関を論難するトランプ大統領に抗議して批判の社説を一斉に載せた。賛同紙は400を超える。
「都合の悪い報道をフェイクと呼ぶのは民主主義を脅かす」。16日付紙面で各紙がそれぞれに論じた。有力紙ボストン・グローブが呼びかけた。
報道現場の心情をつづった社説に実感がこもる。たとえばスポーツ。「雪の日も炎暑の日も地元チームを追いかけて出張する。よい記事を届けるために」。たとえば地方政治。「夜の7時から市役所に詰め、深夜に原稿を書き、ホンダの老朽車で帰宅し、夕食に間に合わなかったことを家族にわびる」。そして問う。「こんな私たちが国民の敵ですか」と。
新聞社が消えた米国の街では異変が起きている。ある街では幹部が給与を投じの大統領の倍まで引き上げ、市議会の承認まで得た。別の街では選挙報道が絶えて投票率が落ち、候補者の数も減った。プレスの不在がこれほど与党や現職を利するのかと驚いた。
「新聞とるのに協力なんかしない方がいい」「新聞読まない人は全部自民党なんだ」---。麻生太郎財務相の最近の発言である。こちらも新聞批判に余念がない。
今回、ある米紙は大統領が2日に1度の熱心さでプレスを敵扱いにしていると指摘した。報道に腹を立て、逆恨みし、ツィート文案を練り、発信するのにどれほどの時間を費やすつもりなのか。

 天声人語より
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子どもの自殺
8月31日は92人、
9月1日は131人、
2日は94人。
約40年間の子どもの自殺者が示す夏休み明けのしんどさ。
改めて「寄り道のススメ」を。

素粒子より
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17日の夜、天の川にカササギの橋がかかる。旧暦7月7日、七夕である。
国立天文台が、梅雨さなかの新暦ではなく、旧暦で祝おうと呼びかけている日だ。カササギは夜空に翼を連ね、遠く離れた織姫と彦星の間を取り持つ。
カササギを県鳥とする佐賀県の保護施設で対面した。間近で見ると、目が丸く愛らしい。羽色は白黒の2色で、長い尾羽は太陽光を浴びて青や緑に輝く、佐賀を含む九州北部に生息するという。
「カチカチと聞こえる鳴き方が『勝ち』に通じる。縁起がいい鳥として知られています」と県文化財課の森宏章さん。地元ではカチガラスとも呼ぶ。佐賀市内には「かささぎ通り」があり、駅名板にも両翼を広げた姿が描かれる。地元のサッカーJ1「サガン鳥栖」の旗にも登場するほどだ。
県は20年前から保護活動に取り組んできた。春先、幼鳥が巣から落ち、けがをしていると市民から通報が来る。森さんは「傷ついた幼鳥を治療し、自然界に戻す。自力で飛ぶ姿を見ると、親鳥のようにうれしくなります」。
七夕を祝う風習は宮中から庶民へ広がった。江戸時代の子どもたちは七夕の時期、たらいの中で織姫と彦星を引きあわせた。水面に映した二つの星をそよ風で近づけ、逢瀬を演出したという。天空の遠距離恋愛を実らせたいという優しさは時代を超えて息づく。
今年の新暦7月7日は西日本を降雨が遅い、甚大な被害をもたらした。旧暦の七夕こそは、夕涼みでもしながら心穏やかに、天の川を見上げたい。

 天声人語より
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スマホ老眼を防ぐには? 目を休め、筋肉の疲労回復を
メールやネット検索などに便利なスマートフォン。ただ、長時間使うと目の焦点が合わなくなることがある。そんな症状を「スマホ老眼」として、注意を呼びかける医師らに対策を聞きました。
「老眼」と言っても、中高年がなる老眼とは異なる。老眼は、ピント調整の役割を果たす水晶体が加齢によつて硬くなることが原因だ。通常、水晶体は弾力性があり、厚さを変えることで遠近を調節しているが、硬くなると調節できない。
一方のスマホ老眼は、目の使いすぎによる疲労が原因だ。通常、水晶体の厚さは毛様体筋が緊張したり緩んだりすることで変わる。だがその筋肉が疲れると、遠近調節ができなくなる。そのため、目を休めれば回復する。
医者が進める対策は「チラ見エクササイズ」。オフィスなどで仕事をするとき、窓からようやく判断できる距離にある目印を決め、1時間に1~2回、じっと見る。毛様体筋が緩み、休まる。
風呂に入ったとき、40度ほどのお湯で温めたタオルを目に当てるのも良い。毛様体筋の疲労が回復し、ドライアイの防止にも役立つ。

 続・元気のひけつより
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「アイ・イズ~」(私は~です)。学校の試験でこう書けば間違いなく誤答だろう。
一人称なら「アム」が来る。だがノーベル賞作家V・S・ナイポールはこうした植民地英語を自在に駆使した。
インド系移民3世として、当時英領だったカリブ海の島国トリニダード・トバゴに生まれた作家だ。恥ずかしながら読んだことがなかったが、先日の訃報に接して数冊を手にとってみた。登場人物たちの不器用で温かい語りに引きこまれる。
自称世界一の詩人。やけに身になりの立派なゴミ収集人。神秘的なマッサージ師----。少年期に島で出会った人々が創作の源だ。下町の路地裏でだんらんや夫婦げんかをのぞき見するような感覚が楽しい。
日の当たらなかった植民地英語の多彩さを英本国文壇に知らしめた功労者の一人と言われる。英国に住み、紀行文にも筆をふるった。父祖の地インドの他、イラン、パキスタンなど各地を精力的にめぐった。
それら探訪作品には批判も起きた。「植民地を支配する側の視点」「搾取の苦しみをわかっていない」。名声はそれでも揺るがす、権威ある文学賞を多く得て、「サー」の称号も授与された。85歳で亡くなった。
講演会で聴衆が作品を読んでいないと怒って途中退場する。取材記者に「どの本を読んだか正直に言え」と迫る。聞くたびに気むずかしい人のようだったが、海外文芸に疎い記者の目にもその作品世界の奥深さは伝わる。いまさらながら、もっと早くに読んでおきたい作家であった。

 天声人語より
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イリベラル・デモクラシー
いま、あるいらだちとともにこの文章を書いている。
政治権力の担い手が普通選挙によって選ばれながら、その政治権力が国民の手から離れてしまったのではないか、といういらだちである。
民主主義が実現していないから、ではない。もとより民主主義とは国民が政治権力の担い手であるという理念のことであり、公正な普通選挙による政治権力者の選任は、その理念を活かすうえで最も適切な制度と考えられている、そこに異論はない。
だが、問題はここから始まる。選挙によって選ばれた政治権力をどのように制限することができるかという課題が残されるからである。
仮に、普通選挙で選ばれたという事実を基礎として政治権力のすべてを権力者に委ねてしまえばどうなるだろう。その権力者は議会、裁判所、あるいはマスメディアによる政治権力に対する規制を弱めるかもしれない。権力への規制すべてを排除する可能性さえ無視できない。民主主義が独裁的な政治権力を生み出していまうというパラドックスである。
もとより独裁は民主主義の反対概念ではない。独裁の反対とは民主主義ではなく、自由主義、すなわち政治権力を法によって制限するという観念もしくは制度である。自由主義は国民一般の政治参加とは必然的な結びつきを持たない。法の支配とか三権分立は民主主義ではなく、自由主義の制度的表現である。
もちろん自由主義と民主主義が矛盾するとは限らない。だがここで民主的に選ばれた代表者がその権力を制限する者を排除した場合、民主主義ではあっても自由主義は損なわれた統治が生まれる可能性がある。これが自由主義の失われた民主主義、イリベラル・デモクラシーの問題である。
日本も例外ではない。自由主義の減速に従う限り、選挙によって選ばれた権力であってもその権力は法によって縛られなければならない。他方、選挙によって選ばれた指導者が、国民から権力を委託されたことを根拠として自分の持つ権力への制限を排除する可能性は常に存在する。民主主義の名の下で自由主義が失われる危険がここにある。

 時事小言より----藤原帰一
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埼玉県東松山市に住む溝井喜久子さんの毎日の楽しみはツイッターである。
庭に咲いた花、日々の食卓、いただきもの----。8年間に投じた「つぶやき」は23万件を超えた。
そうして日常の断章のみならず、子の世代に依存する高齢者への苦言も素直につづる。出版社の目をひき、えりすぐりのつぶやきを集めた書籍が刊行された。『何がいいかなんて終わってみないと分かりません。』など2冊だ。
ページを繰って目にとまったのは、戦時中の記憶や実感のつぶやきである。<戦時中、産めよ増やせよと言われた。これは子供のこと。特に男子。戦争に駆り出す要員として><徴兵制度ができれば、また人の命が安く集められる。そんなことにならないように考えよう>。
戦争を始めたがる国家、国民を大切にしない国家。国家の持つ危うい本能が、現代の人々には見えていないのではないか。焦燥の想いが行間からひしひしと伝わる。
投稿を追う「フォロワー」はいまや9万4千人。戦時中の思いを書くと数が際立って増えたという。ツイッター世代には新鮮だったらしい。世代を超えて記憶をともにする効果を感じる。
戦争を知らぬ世代が、日本を戦争のできる国に造りかえようとしている昨今、戦禍に耐えた世代の直言はひときわ重みを増す。<今の社会、単純に武力行使を唱えている人がかなりいて、それらの人を支持する人がかなりいる。----前の戦争の時もそういう風潮で、慎重派は追われて、武闘派が戦争初めて敗戦>。

 天声人語より
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スーパおじいさん
わずか30分で、手品のようり理稀ちゃんを抱きとった尾畠春夫さん。
学ぶところ大の78歳ボランティアの行動力。

素粒子より
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ボランティアおじさんの活躍
心配が一転、安堵に。
人の輪と木陰の涼、沢の水が救った2歳児の命。
理稀ちゃん、68時間、よくぞガンバった。

素粒子より
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試合の朝、監督から打順を告げられる。「クロ、1番でいくえ」。クロこと旧制京都二中の黒田脩選手は耳を疑った。
打席に立つと緊張が腕に来た。バットが振れない。かろうじて四球で出塁した。
1946年8月15日のことだ。戦後に再開された初めての夏の高校野球全国大会。黒田さんは開幕試合の先頭打者だった。「夏らしい白色の服と国民服のカーキ色の2色で観客席が埋まっていました」。
89歳のいまも記憶は鮮明だ。球場では傷痍軍人たちが募金箱を胸に立っていた。試合中、米軍機がシラミを駆除する薬剤DDTを客席に散布して回った。勝ち残った学校は敗退校から米を置き土産として受け取り、大いに喜んだと話す。
黒田さんは大阪市で生まれ育った。のちに読売新聞大阪本社の社会部長として平和企画に力を入れた故・黒田清さんは実弟である。いっしょに三角ベースで球を追い、ともに空襲で焼け出された。「長い戦争がやっと終わった。野球ができるだけでうれしかったんです」。
夏の大会は今年で100回目。大記録を打ち立てながら戦火に散る。連続敬遠の悔しさに耐える。サヨナラ負けに突っ伏す----。グランドの下には、そんな球児たちの想いが地層のように積み重なっている。
甲子園の周囲を歩いた。外野席の裏手に「野球塔」が立つ。歴代の優勝校を刻んだ銅板には、校名の記載のない空白期がある。「戦局の深刻化に伴い中止」。甲子園から球音と歓声の響かぬ夏だけはもう繰り返したくない。

 天声人語より
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平成最後の終戦の日
昭和の戦争を肌身で知る最後の天皇。
陛下が最後の追悼式で語るおことばに、耳を澄ます。
戦争を風化させず、平和を願う。
陛下の決意が伝わる。
重ねた慰霊の旅とともに、思いは次代に引き継がれよう。

 素粒子より
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生徒は全員海の生き物。教室ではウミガメやエイがすいすい泳ぐ。
跳び箱の中に隠れている魚もいれば、わがもの顔で25㍍プールを行くシュモクザメもいる。映画の世界ではない。高知県の室戸岬に今春オープンした「むろと廃校水族館」どの光景だ。
先月、廃校が年間500校にものぼると書いた。一方で、空き校舎の再利用も進んでいると知り、その実例を身に室戸市を訪れた。
「学校らしさを前面に出しました。大人には懐かしく、子どもには親しめる場所です」と若月元樹館長。長く飼育されているカメなどを「在校生」と紹介し、地元の定置網にかかって新たに展示された仲間を「転入生」と呼ぶ。遊び心である。
12年前まで市立小学校だった。戦後の高度成長期には約170人が通ったが、人口減の波にあらがえず廃校に。NPO「日本ウミガメ協議会」と市が話し合い、水族館構想が浮上。シロアリの巣と化していた校舎を市が補修した。
筆者の通った三重県内の小学校も昨春、廃校となった。帰省の折にのぞいたが、校庭やプール、下段はほぼ卒業時のまま。サビの浮いた体育館が痛々しかった。
廃校水族館はこの夏、盛況が続く。第二の人生を歓声の中で送ることができてきっと校舎も本望だろう。廃校を地域のにぎわいの場に替えられれば、悲しみも乗り越えられる。「廃校シアター」「廃校市場」「廃校自動車学校」。何だってあり得る。地域の柔軟な発想が問われる大廃校時代である。

 天声人語より
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阿波踊り
エライヤッチャ、エライコッチャ。
阿波踊りめぐる徳島市側と踊り手の対立。
誰のための祭りか、原点に返って。

素粒子より
余りにも見せ物になりすぎているのではないのか。
見物客からお金を取ってみせるのはここだけだ。
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八ヶ岳を歩く男がいる。もう若くはない。
<あの。なだらかな尾根の右肩のトンガリ。あすこがおれの限界だった----。いまはもう限界は。もっしずっと下の方>。詩人草野心平の「鬼色の夜のなかで」を読むと、一緒に山にいるような気がしてくる。
<右の脚が出れば、左の脚。左の脚がひっこめば。また右の脚。一歩一歩は過去になる。歩きながら馬糞のように新しい過去がポッカリポッカリ生まれてゆく>。自分と荷物を運んできた足跡が山道に残っていく。
夏になると日本アルプスに出かけていたのは遠い昔、高山とはすっかりごぶさたの身である。それでもこの時期、重そうなザックを背負った人を駅で見かけると、応援したくなる。
逆走台風に襲われた。楽しみにしていた山行を取りやめ、悔しい思いをした方もおられよう。昨年の山の遭難者の数はこれまでで最も多かったとも聞く。くれぐれも慎重に。
歌人与謝野晶子も山好きだったらしい。「高きへ憧れる心」の理由を書いた文がある。山へ登ると空気一つにしても新鮮で「地上の生活の俗気と炎熱とが急に一掃されるのを覚える」。山の清い心をもって、また地上の生活に戻る。それを味わいたくて、毎年山の旅行をするのだという。
地上の俗気と炎熱は、晶子の時代からさらに強まっているだろうか。気分を変えてくれる風や星空、小さな花が、山にはある。異世界への旅がいざなっている。

 天声人語より
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航空機事故
災害や遭難から命を救う。
重い責務を担う9人の命を失われた防災ヘリ墜落。
原因究明を徹底的に。
同じ群馬で520人が犠牲になった日航機墜落事故から33年。
語り継ぐ、重い教訓。

 素粒子より
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平安のむかし、かき氷は削り氷と言われた。清少納言が『枕草子』で、上品なものの一つにあげている。
「削り氷にあまづら入れて、あたらしき金椀に入れたる」。ツタからとれた甘味を氷にかけ、真新しい器で味わう。貴族ゆえに許されたぜいたくだったのだろう。
製氷技術などない時代。冬にできた氷を氷室に入れて夏まで保存していた。貴重品ではあるが、貴族たちは口に入れたり酒を冷やしたりと使っていた。ところが鎌倉時代に入り、氷不足になったようだと、田口哲也著『氷の文化史』にある。
氷室を守り、氷を楽しむ文化が、質実剛健の幕府の気風に合わなかったか。昔は宮中に上がると氷を味わえたのに、との恨み節が当時の文書に出て来るという。
氷不足と言うと大げさだが、こちらも需要に供給が追いつかない。フタバ食品が6日、カップ入りのかき氷「サクレ」の販売を一時休止すると発表した。1985年の発売以来初めてという。森永製菓の一部氷菓でも同じことが起きている。
アイスの売り場へと、走り出したくなる。たしかに、そんな暑さである。気象庁によると、7月の平均気温は東日本で平年よりも2・.8度高く、過去最高だった。西日本でも過去2番目の高温という。
夏を楽しもう。そんな常套句を言うのがはばかられる昨今ではあるが、季節を彩る主役脇役は健在である。夏氷、夏花火、夏祭り---。<匙なめて童たのしも夏氷>山口誓子。子どもも大人も、うれしくなる瞬間は、まだまだある。

 天声人語より
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「今度こういうことがあったら、携帯電話の言う通りにします」。
浸水に見舞われた岡山県倉敷市で取材中、ある女性から聞いた言葉だ。避難を呼びかける警報が携帯電話から頻繁に流れてきたが、家にとどまった。迫り来る水に一時は死を覚悟したという。
2階にいても腰まで水が来て、ボートに救助された。避難しなかった理由は「今まで、こんな災害の経験がなかったから」。広島やえひめなど西日本豪雨の被災地を歩いて、何度となく耳にした言葉である。そして自分も言ってしまいそうな。
豪雨から1カ月となり、当時を検証する報道が相次いでいる。NHKが愛媛県内の被災者110人に実施したアンケートは、自治体や気象庁などの情報が非難行動につながっていないことをうかがわせる。
避難する際に参考にした
情報を尋ねたところ「避難指示」は10%にとどまり、「警報」「土砂災害警戒情報」「特別警報」は、どれも4%以下だった。防災無線や携帯電話ががなり立てても、すぐには立ち上がらない。ぎりぎりまで様子を見る姿勢は危険と隣り合わせだろう。
心配だが、たぶん大丈夫だろう。避難に人の助けを借りなければいけないので、気が引ける。そんな気持ちをおして「空振りでも構わない」と行動できるかどうか。
消防団など地域の人が呼びに来てくれて避難を決めた---。そんな声も被災地でよく聞いた。顔の見えるコミュニケーションと、どこか無機的な災害情報。どちらも大事にしつつ備えるしかない。

 天声人語より
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開発しているうちに、恐ろしくなってきたのだろうか。
原子爆弾が完成し、日本への投下計画が動き出した米国で、異議を唱えた科学者たちがいた。極秘の開発計画に従事していた彼らは、水面下で政府に働きかけを始めた。
「まずは無人の地域に投下し、破壊力を示すべきだ」とする報告書をまとめた。そうして日本を降伏させ、大量殺戮を避けようと考えたのだろう。一部の学者はトルーマン大統領に請願し、思いとどまらせようとした。どれも蟷螂の斧だったことは、広島と長崎で起きた地獄が示している。
彼らの主張は、その先も見越していた。「核の破壊力には限界がない。想像を絶するような破壊の時代への扉が開いてしまう。核の力を最初に使う国は、その責任を負わねばならない」と当時の請願書にある。扉は大きく開かれ今へと続いている。
「核なき世界」がもてはやされたのが遠い昔のようだ。「小さく使いやすい核」の開発を進めると米大統領が言えば、「小さくとも核には核で報復する」とロシアの大統領が返す。新しい冷戦とも言われる現実である。
昨年採択された核兵器禁止条約は、核を絶対悪に位置づける試みである。その運動に関わる川崎哲さんは近著で、「核兵器をもつことが『力のシンボル』から『恥のシンボル』に変わったのです」と述べる。条約を認めない日本政府への痛烈な皮肉でもあろう。
開け放れてしまった破壊の扉。それを人間の手で閉じていく。私たちに残された課題である。

 天声人語より
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GDP2期ぶりにプラスに
18年4~6月期の一時速報値は前期より0.5%増え。2四半期ふりのプラス成長になった。
年率換算では1.9%増。

紙面より
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長崎被爆の日
73年後の長崎で語られた現実に改めて目をこらす。
①いま世界には1万4450発の核弾頭が存在している。
②昨年、武器や軍隊に使われた金は、世界中の人道支援に必要な額の約80倍にあたる。
核保有国の核軍縮プロセスは失速、ほぼ停止している。

素粒子より
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電気料金値下げ?
ありがたい。
「冷房の使用は基本的な福祉」。
だから住宅用の電気料金を下げます。
劫暑の韓国のはなしです。

素粒子より
日本でも40度超えが続くのだから政府もこんな粋な政令を出しては。
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近代医学の学校を卒業した最初の女性は。そう称されるのが、エリザベス・ブラックウェルである。
19世紀に英国から米国に渡り、医学校に入学を願うが、ことごとく断れた。ある博士からは「私どものクラスの紳士たちは、異性が中に入ることを好まないからねと言われた。
外国に行き、男性に変装して医学を学んだらどうかと言う博士すらいた。ようやく入学が認められた学校でも、歓迎はされてはいなかったとベイカー著『世界最初の女性医師』にある。
女性は医師に向かないと言われた時代があった。残念ながら、あったと過去形にしない大学が日本に存在するようだ。東京医科大の入試で、女子受験者の点数が一律に減点されていた。
女子の合格者を3割以下に抑えるため秘密裏に操作がなされた。「出産や子育てで現場を離れるケースが多く、医師不足を防ぐためだった」という大学関係者の話がある。働きにくい構造には手をつけず、女性を遠ざける。そんな行動は、この大学だけなのか。
「ガラスの天井」といえば、寺余生の昇進を阻む、見えない障壁のことだ。東京医科大では、見えないゲタを男子全員にはかせていた。スタートラインにあってはならない「ガラスのゲタ」。そういえばこの大学には、官僚の息子のための特別のゲタもあったらしい。
医師となったブラックウェルは、貧しい地区に女性と子どものための診療所を開いた。門前払いのままで終わっていたなら、成し遂げられなかった功績であろう。

 天声人語より
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今日は立秋
でも西日本の予想気温は体温並み。
まだまだ40度超えもありそうな。
そっそく、残暑を書く。
残酷暑だなと思いつつ。

素粒子より
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虫好きの子どもたちが待ちに待った季節がきた。この夏はどこで、どんな虫を捕ろうか。
少し夢のような話だが、カンボジアの原生林でチョウ探し、なんてどうだろう。東京大学助教の昆虫学者、矢後勝也さんの12年前の体験談だ。
鎌首をもたげたコブラに見送られ、トラの足跡にビクビクしながら山の中へ。いままでチョウの研究者が入ったことのない地にテントをはる。
愛用の虫捕り網は口径50㌢。小さな子供がすっぽり入る。棒は伸縮自在で最長7㍍だ。バナナに酒をかけたワナでおびき寄せる。
獲物を見つけたら、気づかれないようにそっと下から網を近づけ、「エイッ」とひと振り。運河よければ、新種に出あうこともある。網に手を入れてチョウを取り出す瞬間、喜びと興奮で手が震える。
矢後さんにしても、はじめから巨大な網でジャングルに乗りこんだけではない。小さな網を肩に担ぎ、自宅近くの神奈川・丹沢の山々でトンボやカブトムシを追いかけた。「小学校の成績は落ちこぼれだったけど、虫のことならだれにも負けなかった」。好きなことを続けたら博士になり、東大の研究者になっていた。DNAから種の特徴を調べ、希少な種を絶滅から守ろうとしている。
<大きな木大きな木陰夏休み>宇多喜代子。虫捕りだけじゃない。時間を忘れて好きなことに打ち込めるのが、夏休みだ。ひたむきに追い求めたら、君の小さな「虫捕り網」の中には大きな夢がかかっていることだろう。君はなにをつかまえる?

 天声人語より
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広島原爆の日
73年前と同じ晴れた月曜日の朝。
広島市の平和記念公園には埋めるべき溝があった。

素粒子より
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大勢の外国人観光客が歓声を上げる。鍛錬用の鉄ゲタを持ち上げて5㌔の重さに驚く。
ろうそくの火に触れずに「突き」の威力で消そうと試みる。「沖縄空手会館」は豊見城市内に昨年開館したばかりだ。
沖縄は空前の空手ブームに沸く。空手が東京五輪の正式種目に決まったのがきっかけだ。沖縄県庁に2年前、空手振興課が新設された。会館ではいま、初の「沖縄空手国際大会」が開催中。約50カ国、1700人以上の選手が技を競う。
一節に、発祥は琉球王朝の刀狩りにさかのぼる。武器を奪われた士族が手足のみで護身する術を磨いた。「手」と呼ばれた。中国武術の影響を受けて「唐手」と呼称が変わり、戦前から「空手」の名が定着した。
空手と聞くと格闘技の「組手」を連想するが、沖縄空手の神髄は「形」である。「人を殺したり負傷させたりするための武芸ではなかった。鍛錬に鍛錬を重ね、自己を高めるための文化なのです」と喜友名朝多考沖縄伝統空手振興会理事長は説明する。
「空手に先手なし」「人に打たれず、人を打たず、事なきを基とするなり」。会館の壁面には、先人たちの言葉が掲げられている。専守防衛の哲学はいまも受け継がれる。
県によると、空手愛好家はいまや世界に1億3千万人。日本の総人口より多い。エジプトやインドネシアでも人気だという。流派も年齢も国籍も問わない開放性ゆえだろう。「不戦の武術」に魅せられる人は今後3億、5億と増えるに違いない。そう確信した。

 天声人語より
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熱中症。運動開始30分で重症化も。
暑い環境で体温を保つために汗をかいて体の中の水分や塩分が減ったり、体温の平衡が保てずに体温が上昇したりして起きる。運動をすると筋肉で大量の熱が生まれ、危険性が増す。
「体力のない人が暑い環境で激しい運動をすると、運動開始から30分程度でも命にかかわるほどの熱中症になる例がある」。持久走やダッシュの繰り返しで起きやすい。野球やラクビー、サッカー、屋内でも柔道着を着る柔道、防具をつける県道で患者が多い。激しい運動では頻繁に休憩をとるようにする。
個人の体力や体調にも考慮する。同じ環境で同じ運動をしていても、体力のない人、肥満の人、暑さになれていない人などは熱中症になりやすい。寝不足など体調が悪いときもリスクが高まる。体力のない低学年は我慢して運動を続けている場合がある。指導者らが目配りし、不調を訴えやすい環境作りを心がける。
水分は好きな時にとれるようにし、のどが渇く前から積極的にとるとよい。運動の前後に体重を量り、2%以上減らないようにする。スポーツドリンクなどで塩分も補給する。1㍑あたり1~2㌘の食塩が適量だ。服装は吸水速乾性の高い合成繊維が適している。防具やユニホームが重装備な種目は、休憩時間に装備を外し、風に当たったり、氷嚢を使ったりして体を冷やす。

 患者を生きるより---スポーツの情報編より
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「両親が私のせいでけんかをしている。私なんかいない方がいい」
「クラスで仲間外れ。お弁当の時間も誘ってくれない」。消え入るような声があれば、怒りに震える声もある。
18歳以下の悩みを受けつける相談電話「チャイルドライン」が開設20年を迎えた。名乗らなくてもいい。秘密は守る。途中で切るのも可。そんなルールで、毎夜9時まで切れ目なく電話が入る。全国2千人のボランティアが年間20万件の相談を受ける。
チャイルドライン支援センターの神仁さんは「LINEのグループから自分だけ外され、不登校に至る。そんな例が絶えません」と話す。SNSの網の中で孤立し、自己を全否定してしまう10代の姿が浮かぶ。
「救いたい、教えたいと力が入る大人には心を開いてくれません」。聞き手は説教したり、会って励ましたりはしない。耳を傾け、共感することで、孤独の淵にいる子どもたちの支えになる。
わが10代をふりかえれば、世間に背を向けられたと感じた日が確かにあった。だが馬齢を重ねて知るのは、思春期の悩みに寄り添いたいと願う大人の多さだ。「学校がつらい子は図書館へ」。ある図書館司書のツイートした言葉が共感を呼んだのは、同じ思いの人々がこだまさせた結果だろう。
性のこと、人間関係、将来への不安-----。夏は新たな悩みが生まれる季節でもある。でも、ひとりでうち沈む前に思い出してほしい。救い手はすぐ近くに差し伸べられていることを。

 天声人語より
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夏を乗り切る。カリウム補い、疲れにくく
夏バテ予防「ビタミン、ミネラル補給」です。これらの栄養素は、夏場は消耗しなすくなりますので、不足分を補いましょう。特に注意したいのがカリウム。
大量の汗とともにカリウムも排出されると、疲れやすくなったり、無気力になったりして、低カリウム血症となることもあります。
今回のおすすめは、そのカリウムをたっぷり含んだ「トマトとスイカのスムージー」です。「カリウムはこのほか、イモ、海草類、小松菜、ブロッコリーなどに多く含まれています。カリウムは水に溶けやすくので、ジュースやスープだと、効率的にとれます」
ビタミンB1も水溶性でした。栄養素によって、水に溶けやすかったり、熱に弱かったりという特徴があるので、覚えておくといい。
トマト1個(約200㌘)は種とヘタをとり、スイカ(約200㌘)も皮をむき種をとり、それぞれ一口大に切ります。レモン汁大さじ1、はちみつ、氷各適宜、塩小さじ5分の1を入れ、とろりするまでミキサーにかける。グラスに注ぎます。ナトリウム補給のために加えた少々の塩が甘味を引き立てます。
このほか、小松菜とバナナ、ゴーヤーとパイナップルの組み合わせもさわやかでおいしいです。(2人前)

 おかずラボより------管理栄養士・清水加奈子
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明治の初め、蝦夷地をどう呼ぶか新政府内で議論があった。
「開拓判官」の要職にあった松浦武四郎が6案を挙げる。日高見道、北加伊道、海北道、海島道、東北道、千島道。このうち「北のアイヌの地」の意を込めた北加伊道が採られ、「北海道」と字が改められた。
「武四郎の本命は北加伊道。提案理由からもアイヌの人々への敬慕が伝わります」。出身地の三重県松坂市にある松浦武四郎記念館の山本命学芸員は話す。武四郎は旅に憧れて育った。最初の長旅は数え16歳。「江戸、京、大坂、長崎、唐または天竺へ」と友人に手紙を送り、家庭に無断で江戸へ出た。
呼び戻されるも、放浪はやまない。9年かけて本州、四国、九州をめぐる。朝鮮半島をめざして対馬へも。日に80㌔を歩く健脚は「鉄の足」と呼ばれた。
江戸末期、蝦夷地を6度調査する。踏破して見えたのは松前藩と商人たちによる収奪だった。アイヌの土地を奪い、過酷な労働を強い、娘をさらう。その実態を幕府に訴え、明治政府には救済策も進言したが、認められず、官職を辞する。
<心せよ みえしもおなじ人にして この国民の数ならぬかは>。官界を退いて名乗ったの号は「馬角斎」。役所勤めの馬鹿くささを皮肉った。
評伝を読み、生家を訪ねて浮かぶのは、永遠の冒険少年である。まだ見ぬ土地を歩きたいという情熱は晩年まで衰えなかった。今年、生誕200年。いま生きていたら「鉄の足」はどこへ向かうだろう。想像するだけで心が躍る。

 天声人語より
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国内生産撤退へ
シャープが白物家電の国内生産をやめて、液晶パネルや半導体などの部品生産に特化する。

紙面より
やはり現実となってきた。国外企業に買収される結果はこれだ。
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そのむかし、体温は気質や気候によって決まると信じられていた。
熱血漢はだれもが高体温で、寒冷地の住人はなべて体温が低い---。長らく欧州の常識だった。
2007年に刊行された『自分の体で実験したい 命がけの科学者列伝』によると、その常識を覆したのは医師や科学者ら9人の欧州紳士である。18世紀後半、ヒトは何度まで暑さに耐えられるのか調べた。試した上限は約127度。室内に7分とどまることができた。「圧迫感を肺に覚える」まで耐えたというから、被験者たちの探求心には驚かされる。
収穫は大きかった。室温を挙げてもヒトの体温は37度を超えず、汗が平熱を保つ機能があることがわかった。以降、欧州で体温計の開発が進む。医師らも患者の体温をまめに測るようになったそうだ。
7月は、気温が体温よりも高い日が延々と続いた。さすがに37度にも達すると、街全体がサウナのように蒸す。昼間の外出には勇気を要した。炎天下、人通りの絶えた商店街は廃墟のように見えた。
この暑さで、京都では夏を彩る祇園祭の「花笠巡行」が中止に。学校の終業式は熱のこもる体育館を避け、エアコンの利く教室で開かれた。プールの水温も30度を超え、子どもたちの遊泳が禁じられた。
<子の電話冷房入れて水飲めと>小田島美紀子。先週、本紙の俳壇にそんな句があった。だれしも親や子の身が案じられてしかたのない7月だった。平成最後の夏。乗り切るには、人と人のいたわり合いが欠かせない。

 天声人語より
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女子を差別
東京医大が2010年ごろから女子受験者の点数を一律に減点し、合格者数を調整していた。
関係者によると「女性は大学卒業後に出産や子育てで、医師をやめるケースが多い。医師不足を解消するための暗黙の了解だった」と話している。

紙面より
これこそ男女差別の見本ではないのか。出産、育児は誰れかが行こなわなくてはいけないのを女性がやっているだけの話。男のエゴだ。
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親しみを込めて地元で「オカゲンサン」と呼ばれる祭礼がある。
日本三景の一つ、安芸の宮島で毎年夏に開かれる神事の「管絃祭」のことだ。厳島神社を造営した平清盛が始めたと伝えられる。
由緒あるその祭りが、今年は中止にされた。列島を東から西へ、西から南へと進む異例の台風12号のせいである。気象庁が1951年に統計を取り始めた以来、前例のない進路をたどった。
そもそも管弦祭の開催日は、台風を避けて設定されたと聞く。海上の神事ゆえ、台風の起きやすい旧暦7月、8月を避けた。夕刻に始まり深夜まで続くため、月の明かるい日を選んだ。それが旧暦6月17日。今年で言えば29日がその日だった。
その名も『管弦祭』という小説がある。広島市出身の作家、竹西寛子さんの作品だ。主人公は東京に住む40代の女性。母と死別したある日、幼い比幾度も家族で見たオカゲンサンに抗しがたい郷愁を覚える。「どうぞ、当日は晴れてくれますように」。好天を祈りながら、久々に宮島を訪れ、納涼船に乗り込む。
打ち寄せる波、響きわたる雅楽の調べ、浜辺で揺れるちょうちんの光-----。竹西さんは幽玄の美を描き出す。実際、毎年多くの観光客が一夜の平安絵巻を楽しむという。
西日本豪雨の被災地に再び禍をもたらしはしまいか。いつまでも列島をはらはらさせる台風12号である。800年物伝統を持つ優雅なオカゲンサンが見られないのは寂しいが、身の安全を第一に考えなくてはいけない災害大国である。

 天声人語より
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対中関税引き上げか
中国に対して8月末以降に発動を検討している2千億㌦分の追加関税措置について、税率を発表していた10%から引き上げることを検討している。

紙面より
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かつての高校球児たちと話して驚かせるのは、試合で打った球種や監督の言葉を克明に覚えていることだ。
甲子園をめざして一心に打ち込む分、記憶が深くなるのだろう。
「甲子園は月より遠い。でもいくんだ」。1972年の春、岐阜県立長良高校の選手だった竹市召一さんは監督から言われた。人類初の月面着陸の3年後。全身が熱くなったのを覚えている。
厳しい言葉もあった。お前の打力では外野まで飛ばない」。左打者に転向したが、レギュラーの座は遠い。「お前の定位置は三塁コーチだ」。代打として技を磨き、74年の春にはセンバツ出場を果たす。努力を怠らなければ、運さえよければ、月まで来られると知った。
最後の夏は、地方大会の4戦目で涙をのんだ。大学に進んで岐阜県警に38年間務める。殺人や強盗などの捜査に追われた。「監督からかけられた言葉は、どれも警察官人生の下地になりました」。
さて甲子園をかけた球児らの戦いもいよいよ大詰めだ。30日にも出場56校が出そろう。「人生に負けはない。この悔しい気持ちをずっと持ち続けろ」「野球で結果を出す人間は一握りや。大事なんはこれから何十年と続く人生」。今年も監督たちがとっておきの言葉を破れた球児らに贈っている。
自分の限界を悟って悩む球児に監督が与える言葉は、人生を支える糧となりうる。大会は今夏で100回を数える。1世紀の間に、いったい何千、何万、何億の生涯の糧が球児たちの胸に刻まれたのだろう。

 天声人語より
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