葉脈が波打つ。茎のうぶ毛が光る。根は力強くうねる。
東京都練馬区の牧野記念庭園で開催中の「牧野式植物図への道」展を見た。独習で究めた牧野富太郎博士の残した細密図約50点が展示されている。
「特注の細筆で1㍉の幅に交錯なく5本の線を描き込んでいる。観察力も描く力も桁外れでした」と学芸員の伊藤さん。描き方に執念が宿る。
幕末、土佐の造り酒屋に生まれた。授業に退屈して小学校を退校、植物を採集して過ごす。20歳を過ぎて東大植物学教室に出入りを許され、のちに助手の職につく。
「学位のない私が学位のある人と対抗して相撲をとるのが愉快」「私のような学風と私のような天才はおそらくふたりと出ない」。自叙伝を読むと、謙遜の美徳などとこ吹く風である。教授の狭量さを嘆き、薄給の恨みをぶつけた。
13人の子を抱えて引っ越すこと30回。ようやく構えた持ち家の跡が区立庭園となった。ひ孫である牧野一?学芸員の知る限り、孫やひ孫に植物研究の道に進んだ者はいない。「植物学のしんどさを聞かされて育ちました。もう一つは放任主義の家系のせい。富太郎も幼くして父母や祖父を亡くし、気ままに育ったようです」。
今年で没後60年。生前からその人気は高く、講演や採集の催しはいつも盛況だった。「私は植物の精」「朝な夕なに草木を友にすれば淋しいひまがない」。天職と出会い、天命を悟り、天寿を全うした植物少年の歩みに、改めて羨望のため息をついた。

 天声人語より