常識失われへんな方向に
日本語には、忖度、斟酌、「あうんの呼吸」など、言語化されないコミュニケーションを表す言葉がいくつもあります。島国だからか、お互いに共有する部分が大きく、言葉にせずにすむものが多い。
忖度は、下の人が上の人の気持ちを推し量るものです。下の人がやるだけではだめで、上の人がそれをきちんと感じ取ることで、忖度が成り立つわけです。
斟酌は、相手の気持ちも含めて、非常に複雑な利害関係を調整し、落としどころを考えていくことです。だから賢くないとできない。
日本語は状況依存型の言語です。同じ言葉でも、ツカワレル状況や文脈で意味が代わる。
言葉にあいまいな部分が大きいので、言語化されない状況や文脈を察するという小さな「忖度」を日常的にやっているわけです。日本語が特殊だからだ、他の言語はそんなことはないという人がいますが、自然言語はあいまいにできているのが普通です。それが成熟した言語なんですね。
いまの政治の言葉づかいは、安倍晋三さんが典型ですが、わかりやすすぎる。あの人、国会でヤジを飛ばしますよね。ヤジというのはすごくわかりやすい。蓮舫さんも、わかりやすい言葉しか使わないから、すぐ
口げんかみたいになってしまう。わかりやすい言葉で政治が語られるのには用心しなきゃいけない。トランプさんの言葉はとってもわかりやすいけれど、すごく危なっかしいでしょう。
本来、政治家の言葉というのは、解決が難しい問題にかかわるから、あいまいになるはずなんです。安倍さんのような単純な言葉だと、白か黒かになってしまって、複雑な利害が調整できない。
成熟した言語は、あいまいさを残すことで、複数の価値観を降り合わせるものなんですが、いまの政治の言葉は幼稚になっている。政治家はわかりやすい言葉だけで語り、マスコミはわかりやすい言葉だけを伝え、国民もわかりやすい言葉しか受け付けない。
むしろ、いまは忖度や斟酌がやりにくい社会になっているんじゃないですか。みんなが共有する常識、コモンセンスのようなものがどんどん失われている。共通の土台がないから、変な方向に忖度する人が出てきてしまう。
成熟した言葉を取り戻すには、僕たち国民がもっと大人になって、土台を再建していくしかないんでしょうね。

 考論より-----金田一秀穂