技術革新と言論の責任
先端技術の議論が盛んだ。例えば、自動車は電気自動車が発達すると、スマホやプラモデルを組み立てるのと同じようになり、現在の日本のメーカーは立ち行かなくなる、という主張がある。もっとも、この手の主張には「近い将来」というお断りがつく。その「近い」が、いつのことかは書かれていない。

あるいは、完全自動運転の時代があと10年先、20年先にやってきて、全ての車が置き換わる、などといわれている。10年と20年では時間の長さがずいぶんと違う気もするが、世界ではいま、年間9千万台の車が生産されている。そのすべてが、完全自動運転の電気自動車に代替えされる、などということは100%ない。
近隣諸国のバンコク、ジャカルタ、マニラ、ホーチミンなどのラッシュをみるとよい。バイクと自動車が殺到し、車間距離は20~30㌢だ。道路交通法も整備されておらず、マナーも当然徹底していない。バスが歩道を走ったりしている。
インドやバングラデシュにいくと、そこにはアリの集団のように人が歩いている。完全自動運転車では、24時間かかってもほとんど進めないだろう。
人工知能をめぐる狂騒曲も似ている。碁や将棋にはルールやデータがある。だが、仕事の多くは「その場での対応」の連続であり、人間関係の管理を含め、イレギュラーな出来事への対処が基本となる。
メディアで発言する人間は、耳目を集めるのが大切なので、タイトルを含め、「鬼面人を威す」ことに熱中し、大事な細部を顧みず、極論に走りがちである。大切なのは、周辺を含めて事実関係をきちんと把握し、その言論に責任を負うことだ。

 経済気象台より------遠雷