一国二制度 曲がり角、中台統合のモデルから変質
中国には「一国二制度」を成功させ、将来、台湾を統合する際のモデルケースとする狙いがあった。しかし、そうした思惑は完全に外れたといえる。
中国は香港返還からしばらくの間、一国二制度の成功を台湾や国際社会にアピールするため、過度に香港に干渉しない立場をとった。しかし、香港経済が2003年、新型肺炎SARSの流行で悪化したのを機に、香港に経済的な恩恵を与えて中国への忠誠心を高める方針に転換した。
一方、このころの台湾の動きをみると、中国が「台湾独立派」と警戒した陳水扁総統が再選を果たしたし、自分は中国人ではなく台湾人だと考える人も増えていった。中国としては、香港への干渉をひかえていたにもかかわらず、台湾を引き付ける効果が乏しかったことから、一国二制度を使って台湾統合をめざすという狙いを、半ばあきらめるようになったのではないか。
中国は一国二制度の定義を決める権限は北京にあり、香港にはないという立場を明確にするなど香港への干渉を強めている。一国二制度は台湾統合のモデルケースから、香港を管理下に置くための道具に変容したといえる。

 考/論より------倉田徹・立教大教授