直木賞作家で経済評論家でもあった故・邱永漢さんは、1990年代前半に香港に移り住んだ。
英国から中国への返還を控える現場に軸足を置き、東アジアの大きな変化を見つめた。さかんに発信したのが「中国大陸が香港化する」という見通しだった。
北京のやり方と香港のやり方のどちらがいいか。これから大陸の億人が比較できるようになる。中国が香港という異物をのみ込むことで「香港六百二十万分の細胞が胃袋を突き破って中国の中で異常繁殖することさえ考えられる」と書いた。
香港の返還から20年になる。邱さんの予言は半分は当たり、半分は外れたといえる。
中国経済は市場化が進み、めざましい成長を遂げた。しかし政治活動や言論の自由が前に進んだようにはとても見えない。ノーベル平和賞を受けた劉暁波さんの長期にわたる投獄は、の一断面だろう。最近の病状の悪化をめぐり、適切な治療が施されていないとの疑いが強まる。
逆に「香港の中国化」は着々と進んでいる。中国共産党を批判する本を扱う書店員らが中国当局に拘束されるなど、言論の雌雄が揺らぐ。返還の際に約束された民主的な選挙も実現しないままだ。
自分は中国人ではなく香港人である。そう考える人の割合が上昇し、6割に達したとの記事が最近あった。返還は、中国では当時「回収」と表現された。土地や経済活動は回収できても、香港に住む人たちの気持ちは離れる一方なのかもしれない。

 天声人語より