問われるのは国民の器
歴代政権がかくも短命であることは、例えば国際社会における日本外交の弱
体化と結びつく。国際関係は国益と国益がぶつかり合うアナーキーの世界で
ある。わずか1、2年で辞めるかもしれない首相が、外交の要ともいうべき各
国首脳との信頼関係を果たして築くことができようか。在職短命の歴代総理
が、例えば同じ議会制の国イギリスのサッチャーやブレアの長期安定政権と
対等に切り結んで、さて、「主張する外交」の果実を摘みとることができた
のだろうか。
もちろん、総理在任が長ければよいというものではないが、宰相がこうも猫
の目のように代わる、そのことが象徴しているように、日本の政治が脆弱化
しているのではないかという問題である。
本来、議会は与野党ともにそれ相当数の「総理の器」を抱えていなければな
らない。「総理の器」を含めて、すべての政治家が均等に機会を得て議席獲
得を競うことが、民主党の原則であり、政治活性化の第一歩である。
しかし、この点において日本の政治は停滞している。近年増殖している世襲
政治などは、その一つの現われかもしれない。もちろん世襲政治家のなかに
も優れた指導者はいるが、それにしても全衆議院議員のおよそ3割が、父親な
どの地盤を背負って当選した人々であるという現実は異常だ。国民もこれを
安易に受け入れているところがある。政治にこそ自由公正な市場原理が導
入されるべきであり、かくて国民はさらに幅広く人材を議会に差し向けるこ
とができよう。
今回の安倍首相辞任は、今民に決して小さいとはいえない課題を投げ掛けて
いる。

 この人、この話題より---原淋久