直径1メートルの一本のガヤの木から、彫り出された身長2メートル10センチの不動明王像は、彫刻家佐竹英一(1974年没71歳)によって生み出されました。
この不動明王は自然休養村づくりをめざした上浮穴郡久万町(現久万高原町)が、その自然休養村の中心となる、畑野川景勝地古岩屋の不動岳へ安置(1975年)したものです。
佐竹は没年までの20年余り仏像ばかり彫っていました。製作した仏像の数は約650体にも上りました。しかし、2メートル10センチの立像に1メートルの台座が一木という大きなものは初めてのことでした。
寄木造りは別とし、一木では日本でも最大級のものです。さらに、不動明王の背後にある火炎は頭上の1メートル上に、安置の際の台座を加えると総丈5メートル30センチにもなりました。
佐竹は常日頃「こんな大作に取り組めるのはこの木のおかげ」と口にしていたガヤの原木は久万町畑野川、住吉神社から切り出されました(ガヤの木の重量は推定2トン、年輪550本)。佐竹は「ガヤは育ちの早い木ではないので、何百年か後のため跡継ぎの植樹をしてほしい」佐竹はノミを入れるガヤに限りなく慈しみの心で向き合いました。
製作から4ヶ月頃不動明王の、あの怒りの顔が刻まれました。「憤怒の相といっても、それは、父親が子どもをしかる時”メェー”とやるあれ。仏像とは、姿のない仏教を追求しているもので、模倣でない限り抽象で、その彫刻は抽象芸術のようなものといえる」と語ったことがありました。
光背の製作を残すのみとなった完成間近、佐竹の死去で、当時仏彫の第一人者といわれた佐々木大樹氏の指導を受けながら、田村宏氏・増田勲氏らが仕上げました。
昭和47年(1972年)12月に直径1メートルを超す、樹齢550年余りのガヤの大木の切り出しから始まりました。
完成間近に佐竹が死去(昭和49年8月)したため、光背の製作については仏彫の第一人者といわれる佐々木大樹氏の指導を受け仕上げることとなりました。
不動明王の全総丈は約5メートルで久万町(現久万高原町)古岩屋の自然窟に納められています。
入魂・除幕式(昭和50年4月3日)は報道でも大きく取り上げられ、当時の新聞には「全国最大級・よみがえった一木造り不動明王」と報じられました。
古岩屋付近は四国霊場四十四番札所大宝寺と四十五番札所岩屋寺の巡拝路にあたり、古くから不動明王がまつられ訪れる人があとを絶たない聖地。不動明王がよみがえった今日も古岩屋にはたくさんの人たちが訪れます。 |