大東亜会議
大東亜会議は1943年11月5日に東京で開催されたアジア地域の首脳会議。
翌日11月6日に大東亜共同宣言が行われ11月7日に大東亜結集国民大会が行われた。
出席者は日本(東条英機)、中華民国(南京国民政府=代表汪兆銘)、タイ(ピブン首相は欠席、代理が出席)、満州国、フィリピン(ラウレル大統領)、ビルマ(バーモウ首相)の6ヵ国。 インドネシアは戦争中であったことや独立していなかったので参加して...[続きを読む]
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日記名 : sengoku's diary

人種差別主義者と判断 米名門大、元大統領名変更
当ブログで以前から大東亜戦争に関連するので第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が「人種差別撤廃条項」を提案し、当時の議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」がインチキで否決したことを述べてきました。今回の記事はその「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者だったと判断した内容の記事です。
欧米列強の植民地支配は人種差別が根源です。日本は差別に反対の立...[続きを読む]
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インドネシアと韓国の「品格の差」2体の像に滲み出る矜恃 (1/6ページ)
インドネシアは17世紀以降350年にわたりオランダの過酷な植民地支配に苦しめられていた。白人至上主義が蔓延していた時代で徹底した愚民政策。利用価値のある一部を除き教育・医療を受けさせず。イスラム教の信仰も禁止した。そして言い伝えがあった・・
《外部より侵入した白い人間に支配される時代が続く。その後、北から黄色い人間が来て、白い人間を追い払う》
そのインドネシアでの言い伝えどおりになる日が訪れ...[続きを読む]
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嘘をつかなくとも人を騙すことはできる ~インドネシア独立戦争~
歴史を例にして間違った捉え方をする原因を鋭く解説していますが歴史に限らず、昨今の報道においても同じことがいえます。(とくに朝日には誤解させて煽る内容が見られる。)

【146回 嘘をつかなくとも人を騙すことはできる ~インドネシア独立戦争~】

【日本赤十字社 平成30年北海道胆振東部地震災害義援金】 受付開始しています。
【日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金】 受付開始しています。
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「いまも英米で称賛」英軍将兵422名の命を救った日本帝国海軍中佐
「海の武士道」下に動画のリンクを貼りますので動画を観るとよく内容が解ります。 日本人なら心温まる誇りにしてよい話ですから必ず知ってほしいです。 戦時中にあった日本の武士道が米英で称賛されています。
【記事】カミカゼでもバンザイ突撃でもない、旧敵が真に畏敬し、戦後も尊崇の眼差しを送るのは、自艦乗員よりも多くの敵兵を救助する、前代未聞の英断を下した帝国海軍の武士道だった。作家、ジャーナリストの惠...[続きを読む]
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4370人のユダヤ難民救済で語り継がれる樋口季一郎陸軍中将
ドイツの迫害からユダヤ難民を救った杉原千畝は有名な話ですが、同じ頃(1938年)にドイツの迫害からユダヤ難民を救った樋口季一郎陸軍中将の記事です。
【記事】第二次世界大戦開戦直前の1938年3月8日、旧ソ連領オトポールにユダヤ難民が押し寄せた。ナチスの迫害を恐れ、ドイツ東部からポーランドを経て、シベリア鉄道で逃げてきたユダヤ人たちだ。彼らは満州国への入国を希望したが、満州国は日本とドイツが1...[続きを読む]
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敗けると分析した戦争が侵略戦争であろう筈がない。
1941年の御前会議の日であった。昭和天皇の求めに応じて発言された、永野修身(ながのおさみ)・海軍軍令部長の言葉が残っている。

永野修身

すなわち戦わざれば亡国必至、
戦うもまた亡国を免れぬとすれば、
戦わずして亡国にゆだねるは
身も心も民族永遠の亡国であるが、
戦って護国の精神に徹するならば、
たとい戦い勝たずとも
祖国護持の精神がのこり、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう...[続きを読む]
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ローマ法王が被爆写真の配布指示 長崎で撮影「焼き場に立つ少年」
昭和天皇が玉音放送で「敵は残虐なる原子爆弾を・・・」と仰っていましたが、何故、昭和天皇が原子爆弾を知っていたか? それは、、戦時中は日本軍も原子爆弾を研究していたらしいのですが、そのことを昭和天皇が知らされて開発を即刻やめるように命じたのです。
原爆まで使う戦争は国際法から反れた泥試合のようなものですから、 日本側が大人になって戦争を終わらすことを決めたのです。
それで「ポツダム宣言」を受諾...[続きを読む]
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「殉国七士廟」
「殉国七士廟」への行き方は「殉国七士廟」を管理されている

愛知県幡豆郡幡豆町東幡豆大境18-80
 ゆうとぴあ三ヶ根    伊藤 弘 支配人
 電話 0563-62-3228

に問い合わせると親切に教えて頂けるでしょう。

殉国七士廟
http://1gen.jp/GDOH/SITISI/SITISI.HTM

「殉国七士」と尊称されている人々は、先の東京裁判で、日本を背負...[続きを読む]
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【戦後72年】 「日本兵は強く、紳士的だった」 寄せ書き日の丸返還の93歳元米兵ストロンボさんの“日本愛”に称賛・感動
【記事】2017.9.2 17:00 長年の苦悩を背負い続けた元米兵は、約束を果たした安堵(あんど)からか、慈愛に満ちた表情に変わっていた。米西部モンタナ州に住む元海兵隊員、マービン・ストロンボさん(93)。「必ず家族の元に返す」。先の大戦の戦地サイパン島で、日本兵の遺体から日章旗(寄せ書き日の丸)を持ち帰り、73年の時を経て初来日し、願いをかなえた。遺骨や遺灰もなかった遺族は、帰ってきた日...[続きを読む]
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8月15日は終戦の日 降伏はミズリー号上の9月2日
8月15日はあくまで「大日本帝国が連合国側にポツダム宣言受諾を通告し、最高権者たる天皇陛下が終戦詔書を発布し(ここまでは正確には8月14日)玉音放送をもって国内に戦争終結を宣言、帝国陸海軍に自衛目的以外の戦闘停止を命じた」日であり、単に日本が戦争を終わらせることに決めた日=終戦の日なのであって、正式の敗戦はその通告を連合国側が受け入れて東京湾上の米戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印した9月2日です。
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大東亜戦争が自衛戦争である理由
安全保障上からの戦争は国際法で認められているので、連合国側のABCD包囲網での経済封鎖によって脅かされた場合の戦争は自衛になるわけです。
つまり、自国を護るために連合国側の植民地に挑んだ戦争で、それが連合国側からの植民地開放にも繋がっていて、人種差別からの開放にも繋がっていたのです。
これが、大東亜共栄圏を実現するための戦争でもあったわけです。 それで「大東亜戦争」と言われたのですが、敗戦に...[続きを読む]
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インドネシア独立戦争でも日本兵が貢献
スカルノ

【動画】インドネシア独立戦争と日本軍
大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に...[続きを読む]
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